マーケティングや経営に人間中心という発想を ~新たな常識としてのブランド開発~ #2「マーケティングを人間理解に基づき検証する」

2021.09.14

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この記事の著者

鈴木 智之

広告会社のストラテジックプランナーとして、さまざまなクライアントのマーケティング/事業支援に従事。

ブランド資産を活用した戦略構築に強み。

2021年2月アイレップ入社。
CSV/カテゴリイノベーションの実現を支援するストラテジーをテーマに活動。

MarkeZine 連載
https://markezine.jp/article/corner/792

広告会社のストラテジックプランナーとして、さまざまなクラ...

前回の連載では、人間の脳の理解から「ユーザーや生活者の、感覚所与への関与を通じた意識形成への働きかけこそ、独自化を実現する方策であり、コモディティという課題への対策でもある。」という仮説を提示しました。今回はこの仮説を検証していく過程で、現状のマーケティング活動の問題点を明らかにしていきたいと思います。

第一回はこちら。

意識の働き

人間は、青と書かれた黒い漢字を見て、それは黒ではなく青い色を指す漢字だと認識することができる。つまり人間の脳は感覚よりも意識を優先するもの、と言えるでしょう。
それ以外にも意識の働きには、異なるものを何かしらのルールに則り同じにする、というものがあります。

「キャベツ1個の値段」とGoogleで検索すると、最新価格が104円(税込112円)と表示されます(2021年9月6日)。物価変動の指標として時々ニュース番組で扱われるのを目にしますね。

では、この「キャベツ1個の値段」が指すキャベツとは一体何か?

このことをよくよく考えてみると、途端に難しくなってきます。ここで言っているキャベツとは一体どのキャベツなんだ?と。

スーパーの店頭で、キャベツ1個104円という値札とともにたくさんのキャベツが並んでいる姿を想像してみてください。葉の形や色などひとつひとつのキャベツはそれぞれ異なるが、棚に並んでいるキャベツは全て104円である。そういうことになっています。

英語の授業で習った定冠詞と不定冠詞を覚えていますでしょうか?

ひとつひとつが異なるキャベツは"the cabbage"、値札がついた棚のキャベツは"a cabbege"。

つまりひとつひとつが異なるキャベツ"the cabbage"を、棚に並べてキャベツ"a cabbege"として同じものとしている。だから棚に並んだキャベツに同じ値札をつけることができて、それが物価を表すひとつの指標となっている。

ひとつひとつが異なるキャベツを棚にまとめて同じ値札をつけること、この意識の働きを「等価」と言います。価値が等しいとみなせるから、棚に並んでいるキャベツの値段は一律104円だと値札を出せる。

そしてこのスーパーへ買い物に訪れた人は、誰でも104円(税込112円)を払えば、キャベツをひとつ購入することができる。これは、キャベツとお金=104円(税込112円)を、スーパーと買い物客の間で交換することができますということです。

等価(同じ価値として値付けする)と、交換(キャベツとお金を同じ価値とみなすことで交換する)です。

等価交換とは経済活動の根幹をなす活動ですが、これを可能としているのは、人間の脳による意識の働きと言えます。

意識と運動、そして学習

僕の大好きな養老孟司さんはその著書「遺言」で、学習について以下のように述べています。

学習とは、五感による刺激が情報として脳に入る(感覚所与)とそこに意識が生まれ、意識が行動を促す。行動をすると周囲の景色は変化するから、新たな五感による刺激が情報として脳に入り(感覚所与)、そこに意識が生まれ、次の行動を促す。この繰り返しこそが学習そのものである。

ー「遺言。」養老孟司/著

意識が行動を促す。そしてその意識は同じにすることを得意とする。

キャベツとお金の等価交換を考えてみても、そこには等価と交換、ふたつを同じにする意識の働きがあって成り立っています。交換という行為は行動そのものだから、行動は意識が生み出すという養老孟司さんの説明はここでも成り立ちます。

先のスーパーでキャベツを買った人が、翌日いつもとは違うスーパーBに行ったとしましょう。

そこにはキャベツが税込100円という値札が表示されている。並んでいるキャベツの大きさや鮮度も昨日行ったスーパーと違いはない。この場合、スーパーBの方がお得と意識は判断し、それ以降のスーパー選択行動に影響を与えるかもしれません。まさに学習そのものです。

行動履歴に基づく最適化の問題点

デジタルマーケティングがもたらしたことに、従来よりも遥かに多様なデータが取れるようになったことが挙げられます。例えばクリック率(CTR)やコンバージョン率(CVR)、これらは広告が表示された人が、その後どんな行動をしたか、というデータが取れてはじめて算出できるものです。

もちろんデータが取れる範囲に制約はありますが、データが全く取れなかった時代からすると大幅な進歩です。A/Bテストにはじまり、アトリビューション分析、データによる顧客理解と継続的関係の構築などなど、マーケティングはもちろん様々な企業活動を改善していくうえで、データが取れるという事実は重要な成功要因であることに疑いの余地はありません。

と同時に、デジタルマーケティングに対して危うさも感じています。

それは、データの活用方法を間違えるとコモディティ化を加速させてしまうのではないか?という危惧です。

デジタルで取得できるデータの過半は行動の結果を表すものです。クリックをしたというデータ、Webサイトを閲覧したというデータ、メールを開封したりカートに入れたというデータ、これらはすべて行動を起こしたからこそ取得することができるデータです。
そしてこのデータが表しているのは自社と生活者との間の行動であって、例えば自社のメールを開封した人が他社からのメールも開封していたとしても、それは知る由もありません。

先に述べたとおり行動は意識が促すものです。意識は等価交換を可能とするように、異なるものを同じにする働きがあります。もし、自社が提供しているサービスは他社が提供しているものと同じ、という意識の働きによって促された行動の結果を表すデータが取れたとして、このデータのみを基にマーケティング活動の改善を継続していった場合、どんなことが起こりうるでしょうか?

  1. 生活者は、等価なら少しでもお得な方を選びたい。
  2. ただし、企業側からはその生活者が等価とみなしている他社の存在はデータ上不明である。
  3. 価値を表す指標として誰もがわかりやすいものは価格(経済価値)である。
  4. したがって価格(経済価値)によるお得さのアピールは生活者から幅広く支持される。
  5. 結果、企業にとって価格(経済価値)によるお得さのアピールは成果が出やすい(データに基づく効率が最も高くなる)。
  6. 企業はますます、価格(経済価値)を通じてお得さをアピールしていく。

問題は、このサイクルは自社のみならず競合他社にも当てはまるということです。

つまり各社がそれぞれ良かれと思って、最適化のもとに同じサイクルを自らの判断でおこなってしまうということ。

そうなるともはや行き着く先は価格競争。それによる収益の圧迫。何より価格競争の一番の弊害は生活者のWTP(支払い意欲額)を下げてしまうことにありますから、こうなると企業はどんどん売値を下げざるを得ない、結果収益をますます圧迫していく。
まさにコモディティ。

上記は極端な例かもしれませんが、行動データのみをもとに最適化を繰り返していくと(少なくとも理論上は)業界もろとも自らの収益を圧迫する、しかもそれを加速させていく、といった状態に陥ってしまう可能性がある、ということです。

コモディティを防ぐ、あるいは脱却するには

データを上手に活用し、コモディティを防ぐ(あるいはコモディティから脱却する)にはどうすればいいか?

その答えはシンプル、等価と思われなければいい。

自社の商材が他社と等価であると思われないこと、つまり差別化ではなく独自化が鍵。

※差別化=他と比較した上での違い(前章参照)

他のものと等価と思われないためには、人間の意識と向き合わなければいけません。なぜなら、意識によって同じものとされた瞬間、コモディティへの道がはじまるから。

したがって、自社や自社商材に対する生活者の意識形成への働きかけが最も重要で、それは脳の構造を踏まえると感覚所与への関与にあると言えます。

昔、良い自動車を表す表現として「ドアを閉めた時の音の違い」というものがありました。

擬音で表すとパンッではなくドスッといったところでしょうか。この話を聞いたとき、確かに重たい感じがする音そのものが、自動車の骨格の強さや生産精度の高さを表しているようで、なるほどなぁと納得したことを覚えています。そして今でも僕個人の自動車の良し悪しの判断基準のひとつになっています。

自動車の価値を図る基準としては、価格や燃費、ステイタスや走行性能、そしてデザインなど様々ありますが、そこにドアを閉める時の音という基準を追加した人は(誰なんだろう?)人間の脳に対する理解がとても深い人だったのだろうと思います。

なぜならこれは、音という感覚所与そのものを含めた意識形成へのアプローチをした結果、意味づくりに成功した事例と解釈できるからです。

同様のことは他にもあって、例えば Third Place をコンセプトに掲げるスターバックスが(他のコーヒーチェーンとは違って)禁煙であり食べ物は冷蔵状態で渡されるという事実は、第三の場としての価値を確立するための、コーヒーの香りという感覚所与を含めた意識形成への働きかけと解釈できます。

また、かつて馬具の製造をしていたエルメスは、そのブランド価値の表現として、エルメスならではの皮革の肌触りのスムースさ、つまり触感を含めた意識形成への働きかけをおこなっていると解釈することができる。

感覚所与とは意識が形成される前の脳への一次刺激というべきもの。したがって意識の働きの代表格とも言える言語(言葉)とは相性が悪い、つまり言葉で表しにくいのだけれども、でもひとたびその感覚を実感すると、なるほど、と納得することができるもの。

そして言葉に表しにくいからこそ、模倣困難性が高く、陳腐化しにくく、独自性を高めやすい。

これらの事実とその解釈を、人間の脳の理解から導き出した「ユーザーや生活者の、感覚所与への関与を通じた意識形成への働きかけこそ、独自化を実現する方策であり、コモディティという課題への対策でもある。」という仮説の裏付けとして提示しました。

そしてこの独自化戦略を

(1)企業の目的=顧客の創造と維持(P.F.ドラッカー)を達成するための
(2)マーケティング=価値を創造する交換過程をつくる活動(P.コトラー)を実現する

前提条件として位置づけ、この章を終わりにしたいと思います。

それではまた。

第三回は、独自化とブランドについて、僕の考えを描いていきます。

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